学校生活

――忘れたくても忘れられない、辛い日々を過ごした学童期~思春期

 生後3ヵ月頃に乳児湿疹と診断されましたが、当時からアトピーだったようです。小学生の頃は全身に湿疹があり、人と見た目が違うことで同級生からいじめを受けたこともあります。「中学生になれば治るのでは」「高校生になれば治るのでは」と思っていましたが、悪化する一方で、希望が持てませんでした。高校入学後、部活動で汗をかいたのも良くなかったのか、アトピーがとても悪化してしまいます。かける皮膚が残らないほど全身をかき壊してしまい、真っ赤に腫れあがって血や滲出液が出ていました。毎日痛みに耐えるのが辛くて、生きることにも希望が持てないくらい思い詰めていたと思います。

――看護学校に進学できず、夢だった看護師を諦める

 幼い頃からアトピーに加え喘息もあったので、病院にかかることが多く、医療職に就きたいと考えるようになりました。看護学校をいくつか受験しますが、学科試験と面接で合格しても健康診断ですべて不合格になってしまいます。当時は、アトピーがあっても社会に受け入れてもらえないとは全く予想していなかったので、大きな挫折を感じました。看護師になれないと分かり、将来の夢を失ったことで「何になればいいの?」としばらく迷ってしまいました。

就職・仕事

――アトピーで休まないことを約束して一般企業の事務に就職する

 高校卒業後に入院して外用療法を徹底的に行い、アトピーの治療について学んだ後、企業の事務職の採用試験に臨みました。面接ではお化粧をしたり、濃い色のストッキングを履いたりしてアトピーを隠しましたが、健康診断でアトピーを指摘され、主治医の診断書とアトピーが悪化しても会社を休まないという口約束を前提に内定をいただくことになります。  
 就職後はアトピーをコントロールできていましたが、残業などで疲労やストレスが溜まると全身にひどいかゆみが生じ、血だらけになるくらいかきむしってしまうこともありました。幸いにも職場の方々は理解があり、仕事中に無意識に皮膚をかき、ぽろぽろ落ちても、普通に接してくれたのはありがたかったです。

――アトピーによって失われた自己肯定感を、努力によって取り戻した30代

 10~20代の頃は、同年代の女性を見ては「みんなきれいな肌で羨ましい」と思っていました。色素沈着して黒くなった自分の肌に劣等感しかなく、「一晩寝たら、翌朝きれいな肌になっていないかな」と夢見たことも何万回とあります。  
 でも、30歳になった頃からだんだんと運命を受け入れられるようになり、外見は変えられなくても、内面を自分で磨いていこう、と考え方を変えられるようになりました。勉強して資格をとったり、仕事を頑張ったりして良い評価をいただくことで、「努力すれば私にもできることはあるんだ」と実感し、少しずつ自分に自信が持てるようになったと思います。また、看護師になる夢は諦めましたが、病院でのボランティア活動などを通じて医療と関わることはできたので、小さいながらも夢を叶えられたと感じています。

皮膚科を受診する際に心がけていること

――受診前に自分自身の状態を整理した上で、主体的に医師に伝えている

 長年アトピーに悩んできた経験から、医師に治してもらう受け身の姿勢ではなく、自らが主体的にアトピーに向き合うという意識を持っています。診察ではできるだけ皮膚を診てもらえるように薄着で行き、自分が今どういう状態で、どんなことを達成したいのか伝えられるよう診察前に情報を整理しています。医師に希望を伝えるためにも、アトピーに関する情報を積極的に収集することが大切です。ネットがない頃は、大きな本屋さんで皮膚科医向けのアトピーの教科書を読むこともありました。現在は、他の患者さんと交流しながら、お互いの経験について共有することもあります。

【アトピー患者さんへのアドバイス】

私が若い頃は治療方法も限られており、ひどいかゆみで何度も全身の肌をかき壊してしまいました。保湿剤の使用感が気になって塗る意欲が低下したり、頑張って保湿したのに皮疹が出たことで挫折したりと、モチベーションの維持が難しい時期もありましたが、今では正しい知識を身に付け、主体的にアトピーと付き合っています。みなさんも、アトピーを正しく理解して自分の状態を客観的に記録し、不安があれば医師に相談してほしいと思います。

2024年1月 CIB46N018A
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